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金沢城の古絵図は、総数550点以上残っていると見込まれ、城の全域を描いた絵図、城の一部分だけを描いた絵図、城内での儀式・作法の手順を説明した図、修理箇所を示した図、櫓の立面図や御殿内部の間取を描いた図など多彩です。
金沢城は寛永8年(1631)と宝暦9年(1759)の大火によって城の景観が大きく変化したので、絵図にもそれが反映されています。したがって、金沢全域絵図を描かれた時代によって区分すると、3時期に分けることができます。
(1) 初期金沢城図(寛永8年大火以前:1631年以前)
(2) 江戸前期金沢城図(寛永大火以後、宝暦9年大火前:1631~1759)
(3) 江戸後期金沢城図(宝暦大火以後:1759年以後)
質問の利家・利長時代の絵図は、(1)初期金沢城図に該当しますが、大きく2種類あります。いずれも江戸初期に作成されたものはなく、後年、伝聞情報や諸資料をもとに推定した図で、軍学者が城の特徴や善悪を比較・評価するために作成した図といってよいでしょう。しかし、初期金沢城図は、最近の発掘調査で判明した事実と矛盾する所がいくつかあり、そのまま江戸初期の姿が書かれているとはいえなくなっています。かといって、すべてが史実に合わないわけではなく、当時の城の姿を示す部分もあり、慎重な検討が必要です。いろんな想像をかきたてる絵図ですから、みなさんもぜひご覧になって検討されてはいかがでしょうか。
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