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年号 |
西暦 |
出来事 |
天文15年 |
1546 |
本願寺末寺として金沢坊(金沢御堂・尾山御坊)を設置(金沢城の前身) |
天正8年 |
1580 |
佐久間盛政が入城、土塁や堀を整備 |
天正11年 |
1583 |
賤ヶ岳の合戦において佐久間盛政が敗北 |
天正14年 |
1586 |
天守構築。翌年に南部藩家臣北信愛が前田利家のもてなしを受け、天守をはじめ、城内の案内をされる |
天正15年 |
1587 |
石垣職人の穴太源介に知行100俵を与え、召し抱える |
文禄元年 |
1592 |
戸室石を利用した本格的な石垣構築を開始、東ノ丸東面・北面、本丸西面の石垣を構築 |
慶長7年 |
1602 |
落雷により天守焼失 |
慶長期 |
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本丸南面・三ノ丸北面・尾坂門の石垣を構築 |
元和期 |
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東ノ丸附段・百間堀縁などの石垣を構築 |
元和6年 |
1620 |
本丸焼失、翌年本丸御殿などを再建 |
寛永8年 |
1631 |
城下町から出火、辰巳櫓に飛び火し城内も延焼 【寛永の大火】 |
寛永9年 |
1632 |
犀川上流から取水する辰巳用水を施工、城内に引水され城内外の堀が水堀化 |
寛永11年 |
1634 |
玉泉院丸に泉水や築山、御亭などを造成 |
寛永20年頃 |
1643頃 |
藩主不在、城内が荒廃 |
~ |
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万治3年 |
1660 |
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寛文元年 |
1661 |
5代藩主綱紀がはじめて入国、城内のみならず城下町整備や新田開発など文化振興に寄与 |
寛文2年 |
1662 |
城内の損傷著しい石垣箇所を修築。玉泉院丸色紙短冊積み石垣もこの頃に構築か |
~ |
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寛文11年 |
1671 |
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宝暦9年 |
1759 |
城下町で1万軒以上が焼失、金沢城内でも本丸・二ノ丸・三ノ丸などの主要部が全焼する被害 【宝暦の大火】 |
宝暦10年 |
1760 |
幕府に城再建と石垣修築を願い出て、5万両を借り修築 |
宝暦11年 |
1761 |
河北門石垣を修築 |
宝暦13年 |
1763 |
五十間長屋石垣を修築 |
明和2年 |
1765 |
石川門石垣を修築 |
安永元年 |
1772 |
河北門を再建 |
天明8年 |
1788 |
五十間長屋や石川門などを再建 |
文化5年 |
1808 |
二ノ丸火災【文化の大火】 |
寛政11年 |
1799 |
地震による石垣被害が大きく、石垣を修築 |
明治4年 |
1871 |
兵部省(のち陸軍省)の所轄となり、多くの建物が払い下げ |
明治9年 |
1876 |
河北門二ノ門の渡櫓や櫓台石垣を撤去するよう進達 |
明治14年 |
1881 |
二ノ丸御殿から出火し、御殿の他、菱櫓・五十間長屋・橋爪門など焼失 |
明治15年 |
1882 |
河北門一ノ門を解体、代わりに矢来門を設置 |
明治40年 |
1907 |
辰巳櫓下の高石垣が崩落、石垣が幅200mに渡り上部3分の2が取り壊され、現在残るように段を設けて改修 |
昭和24年 |
1949 |
戦後、金沢大学の敷地として利用 |
平成7年 |
1995 |
金沢大学の敷地を城外へ移転 |
平成8年 |
1996 |
石川県が土地を取得し、金沢城公園として整備を開始 |
平成20年 |
2008 |
国史跡に指定 |
平成22年 |
2010 |
河北門完成 |
平成27年 |
2015 |
橋爪門二の門・玉泉院丸庭園完成 |
令和2年 |
2020 |
鼠多門・鼠多門橋完成 |
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