ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 民俗文化財(国指定) > 気多の鵜祭の習俗・能登の揚浜式製塩の技術
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所在地 羽咋市寺家町、七尾市鵜浦町
保護団体 気多大社、鵜浦町会
公開期日 12月16日
重要無形民俗文化財 平成12年12月27日指定
鵜祭は、12月16日の早晩、気多大社で行われ、七尾市鵜浦町で捕らえられた鵜を神前に供え、その動きを見て翌年の豊凶を占う行事である。鵜の捕獲は特定の家に限られており、捕獲場所も決まっている。鵜の運搬も世襲の鵜捕部と呼ばれる家々が交代でつとめ、2泊3日の行程を徒歩で運ぶ。この時の行程や道筋、立ち寄る場所なども毎年同じ手順で行われている。
気多大社までの道中は、「ウットリーベー ウットリベ(鵜捕部)」と大声で呼びながら進む。運ばれる鵜は「鵜様」といわれ、道筋の人たちは「鵜様」が通りかかると戸外に出て賽銭をあげて拝む。鵜祭を終えた鵜は、最後に気多大社前の一宮海岸で放たれる。
この祭りは、生きた鵜を使って年の豊凶を占う珍しい行事であり、鵜捕部をはじめとする特定の集団によって伝承される、全国にも類例の少ない貴重な行事である。
所在地 珠洲市清水町
保護団体 能登の揚浜式製塩保存会
潮撒きの状況
塩が結晶化した状況
重要無形民俗文化財 平成20年3月13日指定
本件は、珠洲市で行われている伝統的な塩づくりの技術である。海面より高い場所に、粘土を用いて人工の基盤を築いた塗浜と呼ばれる塩田で行われ、海水を塩田に均一に撒く「潮撒き」など熟練した技術を伝えており、揚浜式製塩の技術の稀少な伝承例となっている。 塩田に海水を汲み上げて塩を作る揚浜式の製塩技術で、その工程は、塩田に海水を撒いた後、塩分の付着した砂を集めて塩分濃度の濃い鹹水を採る塩浜作業と、鹹水を釜で煮詰めて塩を結晶化させる釜屋作業からなる。製塩の作業は、春先の塩田整備に始まり、日照量の多い夏を最盛期とする。塩浜作業は「潮汲み3年、潮撒き10年」と呼ばれるほど熟練した技術を要し、天候や雨風を予想しながら行われ、一方、釜屋作業は、熱気が立ち込める釜屋の中で、火加減を調整し、アクを取り除きながら夜を徹して行われる。 能登における製塩は、加賀藩が藩の産業として塩づくりを奨励したため、近世には独自の発展を遂げ、その後、近代になり国の専売制が実施されると衰退の途を辿ったが、珠洲市では、当地で長年製塩業に従事してきた角花家を中心に保存会が結成され、揚浜式製塩の技術を今日に伝えている。 本件は、伝統的な用具により、伝統的な製法を維持して行われており、我が国の製塩技術の変遷を理解するうえで重要である。また、塗浜と呼ばれる塩田での製塩は地域的特色が顕著である。
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