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江戸時代前期
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
縦 79.5センチ 左右 276.0センチ
重要文化財 昭和42年6月15日指定
耕作図は、機織図などと同様、中国から鑑戒画として伝わったものであり、中国風俗のままに描かれるのが本来の耕作図であるが、守景の場合は、中国風俗の作品のほかに、身近な日本の農村風景に取材した日本風俗の耕作図も知られている。
この作品は、守景の日本風俗の耕作図として、また庶民風俗を描いた田園風俗画として、すぐれており、守景の代表作として広く知られている。季節の推移を、通例とは逆に、左から右へ展開させ、農事だけでなく、旅人や狩猟・漁撈の人物も点じ、さらに収穫期の年貢取り立ての役人を描くなど、農村の姿を多彩に描写している点に、守景画としての特色が認められる。「夕顔棚納涼図屏風」とよく似た雰囲気をもつ、水辺で休息する夫婦を加えるなど、田園の風物詩も、効果的に織り込まれ、詩情豊かな画面を構成している。守景は、狩野探幽門下の四天王と称されたが、伝記は不明なところが多い。大和絵の伝統を吸収して漢画の日本化をめざした作風が見られ、前田家に招かれて、一時、金沢に滞在したことが知られている。
昭和60年「石川県の文化財」より
鎌倉時代
本土寺 鹿島郡中能登町西馬場ゆ-3
(奈良国立博物館保管 奈良市登大路町50)
各幅 124センチ 横 90.1 センチ
重要文化財 昭和58年6月6日指定
「観音経」(「法華経」第八巻第二五品の普門品)の説く観世音菩薩のさまざまな功徳・妙力を描いたものである。画面各所に配されている色紙形の一つが、両幅にまたがっているものがあるところから、当初は2幅が連続していた1幅の大画面の絵であったことが推定される。画面5カ所の色紙形には、「観音経」の要文を図説するように、20ほどからなる場面が構成されている。各場面には、それぞれ具体的に山岳や建造物・人物・動物などが、日本の風物詩を盛りこんだ絵巻物に見る大和絵様式によって描かれている。墨による線画も抑揚があり、流麗で美しく、彩色も十分残っていて、鎌倉絵画の特色をみせている。
「観音経」の信仰は、奈良時代以来盛んであったが、これを絵画化した例は極めて少なく、木図のように「観音経」のみを主題にした作品は、ほかに絵巻で正嘉元年(1257)に描かれた「法華経普門品絵巻」(「観音経絵巻」メトロポリタン美術館)が知られるのみで、国内在所のものとしては稀有の作例として貴重である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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