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鎌倉時代
個人蔵 金沢市
縦 36.0センチ 横 57.6センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
鎌倉時代
個人蔵 金沢市
縦 36.0センチ 横 57.6センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
平安時代中期に、藤原公任(966~1041)が『万葉集』・『古今集』・『後撰和歌集』のなかから36人の歌人を選んだのが、三十六歌仙の始まりとされ、鎌倉時代に、歌仙尊重と似せ絵の流行によって、「三十六歌仙絵」が生まれたとみられる。
現存のもので、最も古く、傑出しているのは、「佐竹本三十六歌仙絵」(佐竹家旧蔵)で、書は後京極(藤原)良経、絵は藤原信実と伝える。もと2巻であったが、大正8年(1919)に、一歌仙ごとに分割され、諸家に分蔵されているうちの2幅である。
藤原朝忠は、右に「中納言従三位藤原朝忠 三条右大臣定方卿二男母中納言山蔭女 別当右衛門督延喜御時人号土御門中納言 あふことのたえてしなくはなかなかに 人をも身をもうらみさらまし」と、朝忠の略歴と和歌が記され、衣冠束帯で斜め後向きの朝忠の姿を描いている。肩の張った強装束で、束帯の黒袍は彫塗の技法で白い直線を残し、端正な形であり、後に流した裾の線は流麗で、当時の優雅さを感じさせる。
もう1幅の壬生忠視も、右に「攝津権大目壬生忠視 御厨子所定外膳部右衛門府生忠岑子 天徳御時人也 やかすともくさはもえなむかすか野を たゝはるの日にまかせたらなむ」と記す。おいかけをつけた巻纓の冠は武官であることを示し、袍は地下(6位以下の官人)がつける装束である。彫塗であらわされた白い線はやわらかく、少しうつむき加減の顔には、もの思う静かな表情があらわされている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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