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昭和7年 金沢能楽堂完成(金沢市広坂通り)
昭和46年 金沢能楽堂・能舞台を石川県に寄贈(現在地に移築)
昭和47年 石川県立能楽文化会館完成
昭和61年 石川県立能楽堂に改称
加賀藩の能の繁栄は、桃山時代の藩祖前田利家に端を発します。
利家は金春流観世流の大夫からけいこを受け、また宝生大夫を陣中に随伴するなど深く能に傾倒しました。
五代藩主綱紀は、宝生太夫将監友春に深く学び、金春流の竹田権兵衛以外の役者に宝生流への改流を命じました。加賀藩では、能を愛好する藩主が続き幕末まで能役者を手厚く保護しました。
その一方で、細工所の職人たちにも能楽の一部を兼芸させ、教養を高めさせると同時に能の人材として育成し、また、領民たちにも奨励しましたので、世に「加賀宝生」といわれるほどの能楽の盛んな土地がらとなって現在にいたっています。
幕藩体制の崩壊によって一時衰退した石川県の能楽は、佐野吉之助師によって復興されました。
この能舞台は、二代目佐野吉之助師が昭和7年に建てた金沢能楽堂の本舞台を石川県が譲り受け現在地に移築したものです。
西本願寺の北舞台(国宝)を模した舞台は、入母屋造りの破風(はふ)のついた檜皮葺(ひわだぶき)屋根(総檜造り)で、長い歳月を経て、何とも言えない落ち着いた色艶と風格を呈しています。
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