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有形文化財(建造物)
1棟
金沢市丸の内71番18(金沢城公園内)
石川県
金沢城土蔵は、金沢城内の東ノ丸附段に建つ、桁行21.84m、梁行14.56mの、大規模な土蔵である。建物は土蔵造りの総2階建で、屋根は切妻造り、桟瓦葺、置屋根形式(鞘屋根)で、鞘屋根を固定するための基礎に、戸室石を用いている。また、西側正面入り口部分に桟瓦葺きの下屋が付加されている。
外壁は腰部分が平石貼り、腰より上部が塗籠めの壁となっており、窓には漆喰で装飾的な枠が設けられ、板葺きの庇が付けられている。腰の石貼りの高さや窓の配列方法などに意匠的工夫が見られ、単調になりがちな土蔵の外壁面に変化を持たせている。また、基礎部の石積みや雨落溝の縁石には、戸室石を使用している。
内部は、正面を入って南寄りに階段を設け、一階・二階とも板敷きで、全ての壁にも板が張られている。
架構については、軸組は建物周囲に半間ごとに角柱、内部には2間ごとに9本のより太い角柱を立て、中央の柱上に舟肘木をおいて棟木を受けるという独特の工夫がなされている。小屋組は、梁の上に小屋束を立て、桁を用いず直接垂木を受けるという構造となっている。
建築年代は明らかではないが、弘化2年(1845)から嘉永3年(1850)の金沢城内の景観を表したとされる「御城分間御絵図」(財団法人前田 育徳会所蔵)に、同位置に同規模の土蔵の記載が見られることから、この時期に創建されたと推定される。
なお、創建当時の用途については不明であるが、旧陸軍時代には「被服庫」として使われていたことが、『建造物履歴表』(明治5年(1872)に旧陸軍が管理するようになってからの資料。)から判明している。
藩政期、金沢城内には何棟もの土蔵が存在しており、本土蔵は、それらと共通した意匠や構法を備えていたと考えられ、金沢城の土蔵として代表的かつ大型の遺構である。また、城郭内に現在も残っている土蔵は、全国的に見ても数が少なく貴重な遺構であり、文化財的価値は高く、有形文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。
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