橋爪門の発掘調査(22年度)
金沢城公園整備の一環で進められている橋爪門復元整備に伴い、遺構確認調査を実施した。平成22年度は主に二の門跡地を中心に調査を進め、門礎の根固め、石組溝、石組枡等の遺構を確認した。
調査期間 平成22年7月14日~12月17日
調査面積 400平方メートル
主な成果
- 橋爪門は、いわゆる金沢城三御門の一つで、二ノ丸御殿の正門であった。高麗門形式の一ノ門、石垣と二重塀で囲まれた枡形、続櫓に接する櫓門形式の二ノ門からなる城内最大の枡形門である。創建は寛永8年(1631)で、宝暦9年(1759)と文化5年(1808)の火災で焼失と再建を繰り返したが、明治14年に焼失した。
- 今回の調査は、平成13年に復元した一ノ門と枡形の一部に引き続いて、二ノ門と枡形の残りを復元整備するための遺構確認を目的としたもので、今年度は主に二ノ門跡を調査した。その結果、周辺は近現代の敷地造成で大きく改変されていたものの、続櫓台の周辺から以下の遺構を確認した。
- 続櫓台石垣に残る明治14年焼失時の被熱痕に、添柱の痕跡を確認した。石垣下部には添柱の中心線を示す縦の「鑿切」が刻まれ、石垣表面の加工には礎石の痕跡も認められた。
- 礫や粘土を充填した根固め遺構が遺存していた。埋土の状況や位置関係から、三時期の変遷が推定される。
- 続櫓台石垣に敷石を設置した際の痕跡が残っていた。敷石面の高さや範囲、周辺の地表高等がわかる。礎石根固め同様、三時期の変遷が認められる。
- 二ノ門の西側で、二ノ丸御殿から続く石組暗渠と石組枡を検出した。暗渠は凝灰岩製の板石を箱形に組合せる。石組枡は底板のない浸透枡で、文化6年再建時の記録にみる「砂溜箱」に相当する遺構と考えられる。暗渠は敷石下を抜けて一ノ門に至り、内堀へ水を落としたと推定される。