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更新日:2026年3月26日

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記者会見の要旨(質疑応答) - 令和8年3月26日 -

  • 令和8年3月26日(木曜日) 14時00分~

記者

   4年間大変お疲れ様でした。実績についてはそれぞれ伺いましたが、本当にいろいろなことがあった4年間だと思います。コンパクトにまとめると、どんな4年間だったでしょうか。

知事

   一言でいいですね。危機管理。知事という立場で、危機管理を最優先で県のトップとして対応する必要がある。そういう認識を持ちました。

記者

   ありがとうございます。今おっしゃられたように、危機管理というのは能登半島地震が大きなきっかけの一つでもあると思います。復旧・復興を第一優先にすることや、タイミングの関係で、やろうと思っていたけれどもできなかったこと、やりたかったことなどはありますでしょうか。

知事

   今ほど申し上げたような案件は、構想段階のものも申し上げたというふうに思っています。そういうふうな表現もしたつもりです。構想として取り組んだことは継続して次に繋がっていけば良いと思っています。

記者

   知事はタイミング、タイミングで一句を詠まれることが多いですけれども、振り返りの一句をお願いします。

知事

   一句、いきなりそう来ますか。10秒ぐらい考えると大体出てきます。よろしいですか。

   「日本海 沈む夕日に ありがとう 我が白山に 日はまた昇る」

   一句ではなく一首でありまして、日本海に沈む夕日にありがとう。我が白山にまた日は昇る。そんな思いであります。

記者

   また日は昇るのところに含まれているのかもしれませんけれども、今後の馳知事の政治活動をどう続けるかどうかや、どんな活動をされるのか、今後も石川に関わっていくのかといった部分をお聞かせください。

知事

   今年の正月の会見で、この1年を復興に向けては正念場だと申し上げたと思っております。正念場のこの時期に選挙で負けて退任をすることになってしまいました。心残りはございます。であるならば、知事ではなくても、能登の復興やこれまで進めてきた成長戦略を推進する何らかの役割はあるのではないかなと暗中模索中であります。冒頭申し上げたように、ゴールデンウィークまでは丁寧に県内に負けたお詫びと、ご支援をこれまでいただいた方々への感謝の行脚をしたいと思っています。そんな中で、いろいろなお声をお伺いしながら、今後の自分のあり方について考えたいと思います。まだ白紙です。同時に、政治というと、二つの意味が含まれていると記者からのご指摘に感じています。一つには、選挙には出るのですかという政治との関わり方。あと、政策を企画立案し、実現をしていく。ということは、政治家というポスト立場でなくてもできることがあるのではないかと思っています。そうなってくると、自分は、政治は諦めていませんが、選挙に出る・出ないではなくて、国会議員の時代から概念を形にする議員立法の仕事に生涯の仕事として取り組んできました。そういった概念を拾い集める地道な活動も、私は政治活動だと思います。それをステークホルダーである議員立法の場合には国会議員にしか与えられていませんから、権限は。提言する立場、アドバイスをする立場、そしてまた私は、国会議員26年間のうち17年間も国会対策委員会に身を置きましたので、いわゆる根回し、わかりやすい言葉で言えば調整、与野党衆参、丁寧にこの作業を積み重ねてきた国会対策の17年間だったと思います。当然これは法制局、財務相、霞が関の皆さんとも意見交換や調整をしながら、議員立法の仕事に取り組んできました。最初に申し上げたように私は能登を見捨てておけません。何とか能登のために役に立ちたいなと思っています。それはどういう形がいいのかなと、まさしく今正念場です。公費解体、廃棄物処理は終わったかもしれませんが、復興公営住宅は夏以降ではないと入れないですよね。ご自宅の再建、契約したくても工事業者はなかなか見つからない。そんなに高いのというためらいもあります。仮設住宅でお住まいの方々、これから暑くなりますよね。私も今まで公務をしながら170回足を運んでおりますが、今度は知事という肩書きのない立場で能登に入ってご支援を申し上げる、何かバックアップする、復旧・復興を進めていく一助になりたいなと率直にそう思っています。私も家族がおりますし、先般の知事選挙で一生懸命応援いただいた後援会の皆さん、また、自由民主党をはじめ、推薦いただいた政党・会派、こういう方々ときちんと意見交換をしながら、今後の私なりの道筋を考えていきたいと思っています。

記者

   今日午前中には、明日就任される山野さんに引き継ぎをされましたけれども、山野さんには何を伝えたかというのと、どんな山野県政を期待するかということをお願いします。

知事

   基本的に行政の事務引き継ぎということをまず定例的に行いました。これはとても重要だと思います。県庁各部局の皆さん方が、石川県政で継続して繋がっているものについて、あと、令和8年度の予算が4月から執行されますよね。そういったことをきちんとお伝えをする、その一つのセレモニーとして重要だったと思っています。山野さんの県政にというよりも、私はできれば本当は、災害が相次いでいなければ、政策論争をもっとさせて欲しかったと思っていますが、残念ながら危機管理を最優先で、議会もありましたので、政策論争を1回もすることが叶いませんでしたので、何を期待するかということについて、それを発言する材料を持ち合わせていません。特に私から申し上げることはありません。不十分な情報の中で言葉を出すということは、私は山野さんに対して失礼だと思います。

記者

   お疲れ様でした。先ほどのご発言と重複するのですけれども、1期4年間お務めになられました。本日で最後となります。今のご心情を教えていただきたいのが一つです。

知事

   1期4年間という最初の選挙で当選をさせていただきスタートした令和4年3月27日。そして今、令和8年3月26日。私なりに全力投球をしたと思っておりますが、その評価は後世の方々や、あるいは身近に普段おられた報道の皆さんがすべきものです。よく言われますよね。鳥の目と蟻の足ですよね。鳥の目と蟻の足のつもりで、俯瞰的に石川県政の立ち位置を見ながらも、小さな変化も見逃さないように、小さな声も聞き逃さないように、特に災害対応や成長戦略に取り組んできたつもりであります。評価はぜひ皆さんの方からしていただければと思います。

記者

   先ほど引き継ぎの話もありましたけれども、山野さんからは、復旧・復興とデジタルの分野でご発言があったということです。この二つをあえて選ばれた理由を改めて教えてください。

知事

   流れという表現で申し上げれば、私も谷本知事からいわゆる行政の継続という部分の継承と、新たな時代の価値観ということで、継承と発展という認識で合意をした上で、谷本知事から引き継いできました。そういう行政の継続性、ただし、新しい技術も含め、デジタル化とグリーン化は、政府の方針でもあり、私ども地方公共団体も当然対応しなければいけない要素だと思って取り組んできました。このことについては、さらに山野さんの得意分野としてもあると思いますので、加速化していただきたいと思います。

記者

   知事の存在・役割について先ほど少しご発言がありましたけれども、もう少しお考えをお聞かせ願えればと思います。

知事

   一般論として?

記者

   馳さんの個人的な思いも含めてです。

知事

   これはそれぞれの知事の方にお聞きいただければいいと思います。私の強みは、やはり国会議員としての26年間、参議院議員5年間、衆議院議員21年間のネットワーク力、また、文部科学大臣を務めさせていただいたり、自由民主党という与党で政調会長代理を務めさせていただいたり、広範なネットワークを活用して、それで瞬時に人と人を繋ぐ仕事であったり、何日も何日もかけて粘り強く合意を求める作業をしたいというということを厭わずに成し遂げることのできる粘り強さが私の強みだなと思っています。県庁職員の皆さんにたくさん教えていただくことをしながらも、時には「それはなぜできないのか」という意地悪な質問をして困らせたこともありました。できるようにした方が被災者や経営者にとってよりプラスになることがあるとすれば、できるように発想を豊かにしたり、部局横断的に取り組んだり、霞が関や永田町と繋いだり、民間企業の資金も含めた、技術も含めた活力を活用したり、そういう自由な発想でアプローチしていくのが私の強みと言えば強みだったのではないかなと思っています。

記者

   先ほど政治活動というところの中で二つあるとおっしゃったと思うのですが、知事選をはじめ国政でしたり、選挙への意欲という部分についてはどのようにお考えでしょうか。

知事

   先ほども申し上げたとおり、全くの白紙です。

記者

   各種報道の中で、震災の語り部をされたいというご意向をお話されていたと拝見しているのですけれども、そちらの思いと、どのような活動をされていきたいのかという点をお伺いしてもよろしいでしょうか。

知事

   語り別という言葉は、一言で100ぐらい意味があると思っています。つまり、あの震災のとき、フェーズごとに私がどういう情報を集めてどう判断したのかということを伝えていくという、石川県で能登半島地震と奥能登豪雨の複合災害で、前例をいくつも作ったわけですね。これをあの時なぜそう判断したのか、誰と交渉したのかということを伝えるという意味。それから、残念ながら私も霞が関に行ったり永田町に行って、能登半島地震・奥能登豪雨の風化を感じます。現場はそうではありません。生の声で、未だに苦しんでいる被災地・被災者・被災事業者の声を伝えるという意味での語り部という意味もあると思います。3点目は、今日も申し上げたように、私は知事という肩書きを置いて、前知事ではありますけれども、仮設住宅や被災地、被災事業者、あちこち回って、今現在の意見を吸い上げると同時に、発信したいと思っています。そして、被災者を励ましたいと思います。被災事業者に、実はこうなのですよと、なりわい再建はなかなか申請が大変ですけれども、県の経営再開支援事業やチャレンジ支援補助金を使うと、もっとすぐできますよとか。被災者・被災地・被災地域を励ます、応援する、そういう活動は、例えば商工会とか商工会議所の経営相談支援員がやるべきかもしれませんが、あのとき知事だった私が直接言って応援をする。当然、私も共産党も含めて全ての県会議員さんとはフランクに話ができる人間関係もいただきました。議会を通じて県当局に対応を求める。その情報を県会議員さんにお伝えするというのも、それをすると徳田さん嫌がる?あるいは浅野さん嫌がる?つまり、何となく通訳みたいな感じですよね。困っている人はいっぱいいるのですよ。私も未だにお叱りも期待もいただきますけれども、その困ったことが何とか伝わる。県当局としても対応できるという繋ぎ役、そういう応援の仕方もあると思うのですよね。それはこの2年3カ月間、私、徳田さん、当時は西垣さんでしたが、今は浅野さんをはじめ、各部長の皆さんと本当に真剣勝負で対応して、市町の町長、市長さんともやり取りをしてきましたが、そういう体験があるからこそ、被災地、被災事業者、被災者を回って、今現在の立ち位置を踏まえて、いろいろなアドバイスができたり、お支えするその姿勢も、知事を経験した立場だからこそできることがあるのではないかなと思っています。語り部というのは、こんなことありましたよと全国話をして歩くと、これはこれで大事ですけれども、今大事なのは、復興途中、正念場ですよね。今一番苦しんでいる、困っている、悩んでいる人たちの声を吸い上げる活動というのは、知事室に座っていたとき以上にそれをやることは意味があるのではないかなと、私は思っています。

記者

   今日の引き継ぎ式の案件について伺いたいのですが、復旧・復興とデジタルについて、知事から山野さんの方に頼むということがあったと聞いていますが、それ以外の個別具体の政策について何か意見交換をされたりはありますでしょうか。

知事

   包括的に最初に申し上げたのは、引継書の中に包括的な項目というのは網羅されております。つまり、石川県の令和8年度予算を含め、事業項目が網羅的に入っておりますので、これをきちんと引き継いだというのが一点目の引き継ぎの重要性と、私は全19市町の首長、議会にご挨拶回りしてまいりました。そのときに、皆さん心配しているわけですよ。新しい知事さんがどういうふうに取り組まれるかと、心配があるから。心配しないで結構ですと。令和8年度予算はもうスタートしています。地元の県議さんを通じて、議会などを通じて、これまで方針を確認してきたこと、6月議会で再確認されればいいですよ。私はそういう引き継ぎをしてきましたので、そのことは山野さんにもお伝えしました。おそらく山野さんも早晩19市町を回られると思います。あの性格なら。そういう人ですから。従って、face to faceで丁寧にされること。私は最後の退任のご挨拶で全19市町回ってきましたよ。令和8年度の予算の継続はもちろんそうですが、今後政策が展開されていくということについて、何かあったら新しい知事さんや、あるいは地元の県議を通じて議会で議事録に残るような形でやり取りをされたらいいと思いますよということを言ってきましたよ、ということを山野さんにお伝えをしました。

記者

   定例会見について、今日の最後の会見ということで、定例会見を巡っては任期中、我々ともいろいろありましたけれども、今日のこの会見でもPFAS等の報告をされました。最後まで従来の姿を貫いたという点で、何かその思い等々ございましたら。

知事

   特に思いというのではなく、いわゆる定例記者会見というものを初めて経験したのは文部科学大臣の時でありました。当時は週2回でしたよね。ただし、県庁で週に2回あると職員の皆さんの負担が極めて重く、皆さんも人手が足りない中で対応しきれないので、週1回県から報告をし、やり取りをする。そういう姿が妥当ではないかなと思って取り組んできました。そこまでです。

記者

   お疲れ様でした。災害対応の話でして、元日の地震、9月の豪雨と、知事としても石川県としてもあまり全国的にも初めての複合災害だったかと思います。その点に関しても、いい点、悪い点を含めて他県にも参考になる点は多いのかなと思うのですが、その最前線で対応に当たった知事として、全国的な例えば半島ですとか、過疎化・高齢化が進む地域の災害において、特にトップに求められる役割をどのように認識されていますでしょうか。

知事

   一つだけ言います。1案、2案、3案、4案、5案、このぐらいの準備を常にしておく必要があると思っています。

記者

   4年間お疲れ様でした。4年前就任したとき、馳知事はこちらの会場で、幸福度日本一を目指してやっていくという所信表明がありました。改めてそれを振り返って、その部分についてはできたかどうか、ご自身を振り返っていかがでしょうか。

知事

   できたかどうかは、評価は自分でするのは控えます。あの時も申し上げたと思いますが、幸福度は人によって全然違います。従って、私が申し上げている幸福度は、その人お一人お一人が求める幸福とは何なのか。その選択肢があるということ、そこに挑戦できる環境があるということ、と言えば、学生さんの挑戦であったり、会社員の挑戦であったり、自営業者の挑戦であったり、高齢者の挑戦であったり、あるいは、順風満帆の人生がうまくいかなかったときの再挑戦であったり、置かれている立場は様々ですが、次に挑戦できる選択肢がある社会、それを応援する仕組み、セーフティーネットがある社会、誰かが応援してくれる社会、そしてもう一つは存在意味だと思うのですね。私は石川県民でよかった。石川県民でよかったと言えるには結構大変だと思うのですよ。石川県って何なの、能登半島の価値、金沢に住んでいる価値、加賀地域に住んでいる価値。地元を知ること、歴史を知ること、人との関わりをより多く持つこと。象徴的なのはお祭りだったりしますよね。あるいは行事であったりしますよね。やっぱり最後は、地域とのネットワーク、コミュニケーション、地域コミュニティの充実。最後はそこに帰結するのではないかなと思っています。

記者

   4年間お疲れ様でございました。率直にお伺いしたいのですけれども、4年間県政の舵取り役を担ってこられた馳知事として、県民の方に対してのメッセージをお伺いしたいです。難しい話じゃなくて、県民の皆さんに。

知事

   二つだけ言いますね。1.本当にありがとうございました。2.私のように徳田さんのようなベストパートナーがいると、より人生を前向きに生きることができる。1人だけの価値観だと自分が本当に正しいのかどうかわからなくなるときがあるのですよ。客観的に私の性格や災害のときには、本当に切羽詰まった追い込まれた状況が毎日どころか毎時間のようにやってきた時に、腹割って相談できる徳田さんのようなパートナーを持つことができた。大変素晴らしいことだと思いますし、また、徳田さんと少し性格は違うと思うのですけれども、西垣さんのようなパートナーがいたのも私は嬉しかったです。西垣さんが戻られた後にやってきた浅野大介さんという、もう10年来の付き合いですけれども、こういうパートナーがいたっていうこと。私には家庭では妻というパートナーがいますけれども、仕事をする上で私に徳田さんがいなかったら、私はここまでの仕事をすることはできなかったと断言できます。同時に、西垣さんや浅野さんという能力のある素晴らしいパートナーがいたおかげで、いろいろなチャレンジも出来てきたと思っています。

記者

   今日で任期を終えられて、明日から生活とかご趣味であったり、時間ができる分楽しみにしていることだったり、またリングに上がられるお考えなどもございますか。

知事

   まず申し上げたように、ゴールデンウィーク前までは、お世話になった方々に直接出向いてありがとうございましたと、負けて申し訳ありませんでしたと頭を下げることが人の道だと思います。これがゴールデンウィーク前で終わるかどうかわかりませんが、できる限りこの1カ月間という限られた中でお礼に伺いたいと思いますのが一点。プロレスについては、私は生涯プロレスラーですが、今の私の膝の状況では、残念ながらリングに上がるコンディションを作ることはできません。従って、私は生涯プロレスラーですが、今リングに上がることのできるコンディションではないと断言できます。

記者

   語り部というところでもう少しお聞きしたいのですけれども、イメージしている活動といいますか、例えば、講演をやったりとか、本を書いたりとか、個人的なアドバイザーみたいなそういう活動をするとか。そういったことを何かイメージされていることというのはございますか。

知事

   むしろ、私にどういうイメージをお持ちですか。今日も申し上げたように、ただ単にノスタルジアを飾る語り部ではないということは明確に言いました。つまり、あの壮絶な震災発災以降、今日までのどういう決断をしたのか、どういう状況だったのか、そのとき誰と相談したのか、というデータには表れていないことを伝える責務があるという意味での語り部と思っています。加えて今日申し上げたように、今だからこそ、ああいう体験をさせていただいた私が、今被災地に入って被災事業者と話し合いをしたり、被災している地域の学校の教壇に立ってもいいですよ。あるいは、会社で一緒に働いてもいいですよ。本当に被災地域、被災事業者あるいは仮設住宅の集会所でお話し合いをしてもいいですけれども、未だに困っている人はたくさんいらっしゃいます。そういう方々の気持ちに寄り添ったり、お支えし、将来が見えない人もいらっしゃいます。そういう方々に直接耳を傾ける。これも私は語り部の役割の一つだと思っています。引き続き、能登を応援していると。馳は知事が終わったから知事の役割を全部終わったと思っているのではないかと勘違いされたら困るなと思って申し上げているのですが、これまで関わった地震・豪雨の被災者や被災事業者を何とかお支えする。現場に行くことだけではなくて、あの時、一生懸命関わった首長の皆さんや市町の職員の皆さん、県議会議員の皆さんと膝詰めで今現状の課題を拾い上げて、アドバイスをできたりもすると思います。私が申し上げている語り部の概念は極めて広いとご理解いただけたと思います。やはり、継続して関わり続けたい。私の立ち位置が単なるお話をする語り部ではなくて、現状を改善していく、話をすることで糸口が見えていく、決定権を持つ人と話を直接繋いでいく、そんな役割があると思っています。要は本を書くというよりも、直接対話、基調講話を15分ぐらいするとしても、40分から1時間ぐらいは意見交換。その人たちが抱いている能登に対する考え方や、被災地の人の困ったことをどんどん引き出して、それをどうしたらいいのだろうかと考えていく、実現に向けていくような、そういうやり方が私に向いているのではないかなと思っています。

記者

   知事選挙の中で、公約で話していたかと思うのですけれども、市町の事務を代行するという話は問題意識としてこれからという話だと思うのですけれども、これは山野県政に何らかの形で引き継いだのでしょうか。

知事

   細かいところは徳田知事にもご発言いただきたいと思いますが、私が公約で申し上げたのは、既に総務省が市町の業務のですね、移譲協議会といったものを立ち上げて、特に大規模災害に遭った能登6市町など、市町の業務を県が代行する。デジタルを活用するスマート行政などで、できることもあるのではないか、その事業の仕分けなどを、協議会を作って議論していくべきだと。総務省の事業でしたよね。林総務大臣ともこの話をしていて、能登半島の被災6市町は対口支援で職員を未だに送ってもらっていますけれども、職員は足りません。市町事務移譲を県が代行してできる分野があるとすれば、国に先駆けて石川県はそれをやるべきではないですかということで、徳田副知事にも指示をして、協議体を作って、業務の割り出し等からスタートしようじゃないかと、これを公約にしていたということでありますので、徳田副知事からもお願いします。

徳田副知事

   これは全国的な問題になっていて、総務省が2年ぐらい前から研究会を作って、今年に入って地方制度調査会が立ち上がって、それが提言の一つになっています。国の方からは、地方制度調査会の結論を待って動くのではなく、各県独自にやれるところはやってほしいと、そういうご連絡も来ているので、特に石川県は被災地は非常に元々職員が少ない上で、やむを得ずお辞めになっている職員がたくさんいらっしゃる訳ですから、被災地を含めた被災地を中心としてどういう具体的な事務を県の方に移譲できるかということを、これは具体的に、エイヤーじゃなくて、一つ一つの事務を洗い出しながらやると。そのための協議会を立ち上げたいということで公約に馳知事は載せられ、議会でもその旨一度答弁をさせていただいたということでありますので、これを受けて今後新しい知事さんがどんな対応されるかということだと思います。

知事

   これはご理解いただけると思いますが、私は議会で答弁したのは私個人の意見ではなくて知事としての答弁ですから、公になった以上は、事務引継書の中に入っていると思っていただいて結構です。行政の継続というのはそういうことであります。ただ、それを新しい知事がどう対応していくかは、それはまた別問題だと思いますが、事務引継の中に徳田さんが申し上げたようなことは入っているということです。

記者

   まずは4年間お疲れ様でした。知事は28年ぶりですかね、約4半世紀ぶりの新しい知事として、石川県のある意味で一つの歴史の転換点に立つ知事であったのかなと思うのですけれども、馳知事はご自身を客観的に見てみてどのような知事だったか、どのような存在だったと思いますでしょうか。あるいは何か石川県に新しい風を吹かせることができたとお考えなのか、そのあたりをお伺いしたいなと思います。

知事

   私は何度も申し上げますが、国会議員時代に得意としていた政治手法は議員立法です。超党派、衆参、与野党の壁を越えて概念を形にする、そしてそれを条文にする、それを予算化したり制度化していくということを、政治家としての一丁目一番地として取り組んでまいりました。県政において私のその発想でいくと、まず現状の石川県の行政を担っている各部長、そして両副知事との徹底的なコミュニケーションをとること。その上で、できないという言葉が時々出てきます。できない理由は財源なのか、法律なのか、前例なのか、政治的な理由があるのか、様々にあると思って、よく私は、何でできないのですかとお聞きすることを常としてまいりました。このスタイルは行政出身の知事とは違うかもしれませんが、特に大規模災害があった時に、前例慣例通りにやっていて、救われる被災者と救われない被災者と、どう考えても救われない被災者の方が多いなというのが実感でありました。ただ、定型的な対応策は必要ですよね。マニュアルというのは当然。しかし、マニュアルだけでは対応できない困った人がたくさんおいでたときに、どうやって新たなこれまでの前例という枠の中の外にいる人たちを救うのか。その財源をどう確保するのか。そのためにどう財務省を説得するのか、関係省庁にその概念をどう説明するのかという、ここはもしかしたら私の得意とする分野だったと思っています。徹底的に県庁の職員の皆さんとも議論をしていく。何でできないのかな。災害救助法で福祉サービスの提供ができるようになったという概念も、これは現場の声を聞いてそうした方がいいなという判断からでしたし、赤ちゃん協議会の里帰り出産支援も、現場の声を聞いてこうした方がいいよなということで、石川県モデルを作ったら母子保健法の改正に繋がりました。常にそういうアンテナを張り巡らしたり、何でできないのかなと。できない理由は大体いただけるので、それはできるようにした方がいいのではないのかなという、そういうスタイルであります。もう一つ、私はどちらかというと、財政が緩むことをよしとしないタイプであります。もちろん責任ある積極財政の高市派ではありますが、県政においては、あれもこれもはできないよ。あれかこれかぐらいにしていかないと、どうしても政治的な期待感というのは膨らみ過ぎますから。そういう意味では、財政に負担をかけないように調整をすることも気を砕いたところでもあります。

記者

   プロレスラーの関係をお伺いします。先ほどの質問に対して、現在膝の状態がリングに上がれるコンディションではない。ただ、私は生涯プロレスラーであるということを何度か繰り返されました。生涯プロレスラーであるということであれば、選挙中もそうであったように、毎日体も鍛えていらっしゃるようですし、コンディションを整えてリングに上がるという気持ちがあるということでよろしいのでしょうか。

知事

   モチベーション次第ですね。私はあのとき日本武道館に上がったのは、武藤敬司の引退ということがあったからであります。それを超えるモチベーションがあるかどうかであります。

記者

   今後の県政との関わりというと大げさですが、県との関係についてお伺いします。馳さん自身が心を砕いてきたトキの放鳥が、5月31日、羽咋市で式典があります。また、これは決定事項ではありませんが、アンケートでも元日に追悼式典を来年度以降もやっていただきたいという要望が出ておりました。こうした県が関わる事業に参加したいというご希望がありますかどうか教えてください。

知事

   自然体です。

記者

   在任中、知事の発言とか発想とか行動とかに我々も結構驚かされることが多くて、それについては多分職員も同じで、でもそれを職員は皆さん非常に頑張って知事についてこられてきたと思うのですけれども、先ほど副知事への言及がありましたけれども、それ以外の職員に対するメッセージというか思いをいただければと思います。

知事

   全ての県政に関わる職員の皆さん方に心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

記者

   もう一声ぐらいあると助かるのですが。

知事

   こういう質問を重ねるところが、素晴らしいところですよね。至らぬ馳浩知事に、ときには無茶ぶりもしたりしましたが、間違いなく私は一度も怒鳴ったり怒ったりしたことはありません。360度評価という人事評価制度も私は導入いたしました。上司であろうとも、常にニュートラルな職員として、自分の能力をどうやったら貢献できるのかなという認識で頑張ってほしいなと思って今まで接してまいりました。

記者

   4年間お疲れ様でした。馳知事が就任された当初思い描いていたビジョンと、実際4年間県政を担ってきて見えてきた景色が多分違う、かなりギャップがあったのではないかなと思うのですけれども、そのあたりの受けとめをお願いいたします。

知事

   ギャップは全くありません。なぜかというと、私は地方議員を務めたことがなく、地方の自治体の行政職員を務めたこともありません。国会議員という政治家経歴を長年してきた中で接していた地方の職員さん、自治体の職員さんという関わりしかなかったので、自分が県庁のリーダーとして入ってきて、純粋に素直な気持ちで徳田さんをはじめ、他の部長さん方、課長の皆さん、すれ違う職員の皆さんに教えを乞うとともに、ただ単にそうではなくて、コミュニケーションしながら、皆さんがどういう思いで行政の仕事に誇りを持って、より良い県政推進のために取り組んでいるのかなと、そこを引き出すようなつもりで取り組んできたつもりでありまして、そういうコミュニケーションは結構うまく取れたのではないかなと思っています。

記者

   メディアとの関わり方についてお伺いします。過去に私どもともいろいろあったと思いますし、例えば、ぶら下がり取材についても、事前に広報の方に連絡を通してほしいというようなルールがあったと思いますが、これまでの4年間の報道対応に対して十分に取材に応えて来たという自覚があるのか、それとも逆に我々メディアの方に対してこうしてくれればよかったみたいな、何かそういった思いはありますでしょうか。

知事

   一つだけ申し上げたいのですが、今日こうして皆さんとやり取りしていて、私のことを嫌な奴だなと思うことは多分していないと思いますが、ところが外に出ると、最近フリーランスの方が実はたくさん来られているのですね。カメラとかマイクをこうするのですよ。これは怖いですよね。そこまで来たら払いのけますよね。それをずっと撮っています。これをやられたのが何回かありまして、そのため、取材はきちんと事前に報告をしてと、お願いせざるを得なかったです。皆さんのことを私は何も思っていません。報道に礼を持って、あるいは熱を持って取材をしていただいたと感謝していますが、最近多いですよね。YouTubeなどで活躍されるフリーランスの方。やはりそれは怖かったですね。対応すると、その対応するところを切り取りして、拡散されるということが何度もありましたので、従いまして、普段こういうスタイルでやっていますが、皆さんはカメラマンも含めて、そういうことをされる方ではありませんが、もちろん分かっていますが、時々見知らぬ方にこれをされるのは怖かったです。ある意味で取材を受ける側のトラウマです。それを切り取りで使われて、切り取りのコメントを乗せられると、私の人格が全て作り変えられるようになってしまうというのはどうなのかと思ったというのは事実です。

記者

   選挙期間中にも同じようなことがあったということでしょうか。結果が出た後のインタビューでも同じ様なお答えがあったと思いますが。

知事

   これ以上は申し上げませんが、多々あったということに、私も恐怖心を覚えたというのは事実です。

記者

   1期4年間、能登から加賀まで隅々見た中で、復旧・復興も道半ばですが、馳知事が考える石川の最も大きな課題、そして県全体をこれからさらに発展するために必要なことというのはどういったことと考えますでしょうか。

知事

   これは私なりの表現で、ものすごく沢山の魅力、発信すべき魅力がある。それをもっともっと伝えていく努力が必要だなと思って取り組んできました。もちろんその象徴が、加賀料理の登録無形文化財に認定いただくということであったり、能登の海に潜っている海女さんたちの海女漁の評価であったり、素晴らしい活動、芸術文化の分野で、そういう素晴らしい方々がおられる方は、もっともっと評価して誇りに思い、自分たちの仲間だと。一体感を出していければなと私は思っていました。加賀料理は象徴と言えましたし、尊経閣文庫のことも申し上げたし、兼六園の県有地化という話も申し上げましたが、産業でもそうですよね。ニッチトップ企業は、割合でいうと全国トップクラスですよ。人口の割でこんな素晴らしい技術力、発想力、商品化力、これがもっと伝わっていけばいいのにという、そこが一つ、石川県としての盲点なのかなと。中塚戦略広報監が頑張った昨年の災害対応の広報のあり方について、PRアワード、特筆すべきアワードでしたよね。まさしく、今ある現状をきちんと伝える。そのことが石川県民は謙虚なのか、その辺が、もっとここをどんどん打ち出していく、PRしていくというのも必要なのではないかと思っています。

戦略広報監

   よろしいでしょうか。では、最後、知事から一言よろしいですか。

知事

   最初に言っていただいて書き留めましたが、「日本海 沈む夕日に ありがとう 我が白山に 日はまた昇る」と、まさしくそんな心境であります。能登から見る夕日、金沢港から見る夕日、加賀海岸から見る夕日、そろそろ日が沈む時間も近づいてきています。感謝であります。そして、自然の摂理は、明日の朝には白山の方からまた新たな日が昇り、新たな命が生まれるような1日を迎える。そんな心境であります。今日で退任、これが最後の記者会見となる、まさしく春の夕日を今実感しておりますが、今日を終えて明日の朝また日は昇る、また日は昇るわけでありまして、明日からの歩みに、自分自身に期待をしております。この4年間いただいた皆さんからのご指導を踏まえながら、自分がもっと被災地のために貢献できるように、また、この4年間の経験だけではなく、政治家として31年間、これは恩返しできるような場に立ちたいな。それが政策を実現していく道を歩んできた自分なりの次のステージではないかなというふうに思ったりしています。何をするかどうかわかりませんが、やはり政策を、練り上げて、練り上げて、拾い上げてという活動とともに、それを形にして実現をしていく。その役割を知事として4年間させていただいたことに感謝しています。そしてこれから自分自身にも期待しておりますが、私が能登半島のために石川県のためにできることを、また、国のためにできることを何かないかなと、あるはずではないかなと、そんな思いで取り組んでいきたいと思っています。4年間本当にありがとうございました。終わります。

 

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