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令和6年2月21日(水曜日) 10時30分~
発災から50日を過ぎました。今回の発生において、自衛隊の皆さん、警察・消防と、こうした関係機関の皆さんが、全国から応援に入っていただきました。具体的にどういう活動をしていただいているのかということを、今日の段階でまとめて報告をさせていただきたいと思っています。
まず令和6年元日16時10分頃に能登地方を震源とする最大震度7の地震が発生しましたと。すぐに防衛大臣指示のもと、16時30分以降、自衛隊において自主派遣による航空偵察等により、情報収集を開始されました。そして、すぐ16時45分、私から陸上自衛隊第10師団長に対して、災害派遣の要請をいたしました。F15による被害状況の偵察。千歳基地から非常に短い期間時間ですぐに現地に到着をいただいて、情報収集をしていただいた。これ八尾ですから大阪からヘリコプターで情報収集にいらっしゃって、木更津、これは千葉からですね。これは霞目、仙台で、宮城県から入っていただきました。明野は三重県から。全国の基地から、元日すぐに情報収集に入っていただきました。
そこで、発災直後、すぐ航空自衛隊輪島分屯基地において、津波警報の発表を受けて、1,000人程度の避難者の高台でございますので、受け入れをし、必要物資を配布いたしました。基地付近に倒壊ビルございましたので、要救助者の救助活動を予定して実施していただきました。当日は、輪島分屯基地に隊員40名ほどおりました。この分屯基地自体も甚大な被害を受けておりましたが、避難者保護、そして救助活動を実施していただきました。あの行かれた方もおられるかもしれませんが、分屯基地のグラウンドにもう、1,000名近い方々が津波警報出ておりましたので、高台に避難してこられました方のお世話、毛布等を提供していただき、また、こうして近隣の倒壊ビルの救助もしていただきました。分屯基地が、私は総理とともに、ヘリコプターでおりましたが、地割れをしていた。こういう状況の中で、速やかな対応をいただいたことに感謝いたします。
翌日に入ります。発災翌日には、陸上自衛隊中部方面総監を長とする統合任務部隊JTFを編成しました。統合任務部隊とはなんぞやというのは、陸海空3部隊を、一括して指令のもとに、対応をしていくという部隊であります。自衛隊は発災から72時間、つまり、人命救助の一つのメルクマールですが、念頭に、昼夜問わず懸命の人命捜索、救助活動を実施していただきました。また、陸地からアクセスが困難な孤立集落に対して、ヘリによる空中機動力を積極的に活用していただいて、いわゆる災害関連死を防ぐという目的もございまして、一気に金沢、またヘリが到着する航空自衛隊小松基地、南加賀方面へと孤立集落の方々を続々と移していただいた。この年明けは、雪もございました。雨もございました。波浪注意報も出て、風速の厳しい中で、その合間を縫って非常にピストンでどんどん運んでいただいたというわけであります。これね、陸自第35部隊普通科連隊の救助活動、山間地域ですね。これは空自人員捜索犬による捜査活動、陸自35普通科連隊による救助活動ね。陸上での捜索活動、孤立地域からの急患の空輸、輪島の朝市通りの捜索活動、孤立集落へ着陸する救難隊ヘリと、孤立集落の被災者を輸送するヘリと、陸海空の、やっぱり連携がなければ、一気に孤立集落から移送するというミッションは達成できなかったと思います。当初3,400人近い方が孤立集落において、まさしく孤立をして、それで集会所におられたんですが、関連死対応もありまして、一気に出していただいたのは、こうした自衛隊のミッションであります。ありがとうございます。
物資輸送であります。水・食料などの支援物資を、広域物資輸送拠点からヘリや車両にて2次拠点に輸送、プッシュ型の支援をし、さらに市町の2次拠点から避難所などへのラストワンマイルも実施して、孤立集落にも輸送していただきました。金沢の産業展示館に集約をして、そこから、各市町の市役所などに一旦まず運ぶんで、そこから近所へというラストワンマイルまでを担っていただきました。海上自衛隊のSH-60による支援物資の輸送、これはプッシュ型支援ですね。積み込み重機も全部自衛隊で運んでいただきました。「おおすみ」で、支援物資を運び、支援物資の配布作業もしていただきました。これはすごいですが、孤立地域への支援物資も、リュックに大体40キロこれを担いで、こうした崖地がけ崩れがあったところ、雪道を、崖地を登って、これ珠洲ですね。孤立地域への物資搬送を連日やっていただきました。やっぱり、活動を継続していただく、なかなか自衛隊に働き方改革というのもなかなか難しい話ですが、24時間対応でこれをずっとしていただいたということに感謝したいと思います。
それから避難支援でありまして、空港などを使用して、自衛隊の輸送力により、孤立集落等からの被災者の輸送を実施していただきまして、おかげさまで1月19日には孤立集落が実質的に解消することになりました。空自のC-2による2次避難支援、こういう形、マリンタウンにおける輪島市の大屋地区の住民の皆さんを、中部方面航空隊CH-47ヘリで、まず誘導されています。これに西保地区、孤立集落ですね。これにヘリが降りていただいて、あの能登空港でも離陸するとか、こういう活動を一気に天候の悪い中で、ミッションしていただいたことに感謝いたします。
道路啓開。陸上自衛隊の施設部隊が昼夜を問わず、24時間作業をしていただきました。短期間で大型車の通行が可能になりました。特に国道249号の砂丘の海岸部に、重機を搭載した海上自衛隊のエアクッション艇、L C A C、これがビーチングし、所々分断された道路を内側から広げたことで、道路啓開が大きく加速をいたしました。こういう形で、非常にがけ崩れ多くございましたところの、これは珠洲市大谷町における道路啓開、これはトンネルにも土砂が入り込んでおりましたので道路啓開、24時間ですか。夜間もずっと道路啓開作業をしていただきました。陸上自衛隊による道路警戒の活動で、これはすごかったですね、LCAC、ご存じのように、海底隆起4mから5mしておりまして、ちょっと普通の船では、重機を運べないということでLCACに小さい重機を載せて、沿岸部に運んでいただいたということであります。これですね、ビーチングしたLCACからの重機、トラック、こういったものを降ろしていただいて、道路啓開に取り組んででいただいたということであります。
生活支援です。発災後に断水状態が長く続いておりまして、この被災市町において、生活に欠かせない給水支援を実施していただきました。また、炊きたてのご飯や味噌汁、手作りのおかずなど温かい食事を提供する給食支援を実施していただいております。また、発災以来の汗や汚れを流し、厳冬の被災地で身体を温めていただく入浴支援を実施していただきました。これはもう、現在も、被災市町で生活支援活動として、給水、給食、入浴支援は継続をしていただいております。皆様の午後4時からの会議等での報告で、ご承知だと思います。入浴支援、給食支援、炊き出しですね。給水支援と、半島の地域の地形、また海底隆起した状況と、こういったことを踏まえても、やはり自衛隊の即応能力と、24時間対応するということでのご支援で大変助けていただいているという現状であります。
その他、民間船舶を借り上げて、避難者や応援職員等の休憩施設等として開設をいただき、来ていただきました。また、医官や看護官等による衛生支援チームが被災者に巡回診療も実施していただきました。また、避難所等において、被災者の心情に寄り添った曲目による疑問演奏会も開催をしていただきました。音楽隊による慰問演奏、これ陸自航空自衛隊音楽隊による慰問演奏、訪問診療、これ地域における巡回診療、これは「はくおう」、七尾港に入港して、ここで、七尾、穴水、能登、珠洲、輪島、志賀町と順次、被災者に1泊していただいて、温かいご飯食べていただいて、落ち着いてお休みいただく、食事もして、お風呂にも入っていただき、洗濯もしていただき、という休憩の場所として提供をいただきました。
関係省庁との連携であります。発災直後に内閣府調査チームの石川県への移送、実はこれに古賀副大臣の移送に、実は私も東京におりまして、私も西垣副知事も、そこにいる広報監も、東京の自宅におりまして、速やかに官邸に参りまして、官邸から、一応防衛省に参りまして、防衛省の屋上から、これで金沢まで運んでいただきました。次に、消防や警察などの応援部隊の輪島市、珠洲市内の輸送も支援していただきました。緊急消防援助隊の車両を、入間基地から輸送機で小松基地に空輸いただきました。国交省が準備した重機、これはLCACで、海から陸揚げしていただきました。これは国交省の重機の陸揚げ。消防高度救助車の郵送、「あさぎり」搭載機による消防隊員の輸送、海自艦艇「あさぎり」による消防隊員の輸送、警察・消防と連携した捜索活動、朝市通りであったり、崖地崩壊、崩落現場における、情報の共有、連携をしながら、警察・消防とともに、自衛隊の皆さんにも、人命救助、捜索に当たっていただいております。また、陸上自衛隊のDMATの輸送支援、DMATと連携した患者の搬送と、こういったことに協力をいただいております。
道路の寸断により、能登半島先端部に陸路からのアクセスが困難でした。そこで、被災市町の複数ある港への接岸可否が不透明な中で、地理的特性を踏まえたオペレーションを実施していただきました。可及的速やかに部隊を能登半島に移動、させるために、空中機動力を最大限に発揮し、能登半島沖合にて、艦艇による被災地支援のための洋上拠点となるシーベーシングを構築していただきました。陸上自衛隊で中部方面航空隊による輸送支援、それから輪島沖の艦艇部隊、これは多用途支援艦「ひうち」による支援拠、航空自衛隊ヘリによる避難者の輸送、護衛艦「せんだい」による支援、海上自衛隊輸送艦へのヘリ着陸ということで、拠点を活用して、半島の地域の特性に応じた支援を展開していただきました。
実績としては、2月18日まででありますが、今のところ人命救助、約1,040名救助、衛生支援として診療約660名、患者搬送約720名、輸送支援として、食糧385万食、飲料水254万4,000本、毛布1万9,000枚、燃料19万2,000Lという、ちょっと私も桁を間違えてしまいましたが、膨大な輸送支援を行っていただいております。給食支援として約16万3,000食、入浴支援として、20万9,000名、「はくおう」利用者として2,000名、道路啓開として、国道249号および県道七尾和島線、宇出津町野線、折戸飯田線、内浦柳田線、五十洲亀部田線、高屋出田線などの一部区間と、こうして、国交省関係機関と連携して、道路啓開でもご活動いただきました。引き続き、自衛隊の皆さんは、1万人態勢により、給水支援42カ所、給食支援23カ所、入浴支援16カ所を現在も実施中でありまして、やはりこのご支援がないと、もうご承知のように、水が大きな壁になっております。私どももう上下水道を国も早く復帰させることが、仮設住宅の建設と、セットでございます。それまで、未だ一時避難所に多くの方が滞在をしておられますので、その方々の生活支援とセットという形で、自衛隊の皆さんに、この入浴支援、給水支援、給食支援、そして訪問診療等お世話になっている現状であります。
改めて発災直後からこれまで自衛隊の皆さんに様々な支援活動に感謝をいたします。木原大臣は、2月2日の会見で、未だに避難生活を余儀なくされている被災者の方々の生活の基盤が構築できるよう、自衛隊は被災者の、あるいは被災地のニーズを踏まえて、必要な希望を持って、給水支援、給食支援、入浴支援、物資輸送などの震災対応に今後もあたってまいります。そして、新たなニーズが生じた場合にも、柔軟に対応を実施することに変わりはなく、引き続き被災者の皆様に寄り添った支援を全力で実施してまいりますと発言をいただいております。間違いなくというか自衛隊の任務として、国防なり、国際貢献をされ、そしてこうした防災に、全力で当たっていただいており、24時間即応体制をいただいていることに、改めて知事として感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
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