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灰谷 悠翔さん(左)
南山 玄英さん(右)
能登町出身。県立能登高校1年生。令和6年能登半島地震によって共に被災。長期にわたる避難所生活を強いられた。
全国屈指のイカの漁獲高を誇ることから、「イカのまち」として親しまれている能登町小木。リアス式海岸特有の絶景を望む九十九湾(つくもわん)に面したこの町も、能登半島地震により大きな被害を受けました。多くの被災地と同じく、ライフラインが寸断され生活もままならない状態。地震発生直後から、小木で暮らす多くの人たちが最寄りの避難所に身を寄せました。
灰谷悠翔さんと南山玄英さんは、能登高校の同じ野球部に所属する仲良しコンビ。地震発生直後から、避難所として解放された彼らの母校でもある小木中学校で、物資の運搬や仕分けなどの手伝いを自主的に行ってきました。高齢者が多い避難所では若い力が必要不可欠。自身も避難所生活を送りながら、朝から晩まで避難所の運営をサポートするその姿に、周囲の大人たちからも感心の声が寄せられました。
「避難所でただじっとしているだけだとつまらないので、なにか人の役に立つことをしたかったんです。町の人からも人手が足りないと聞いていたので、まずは支給された物資を倉庫まで運ぶことから始めました」
物資の運搬のほか、体の不自由な高齢者のもとに炊き出しを届けるなど、気がついたことを積極的に実行してきた2人。それ以外にも大人では思いつかないようなアイデアで避難所を支えます。
「避難所の雰囲気が少しでも明るくなればと思って、段ボールベッドに絵を描いたりしました。避難所での生活は大変だったけど、僕たち以外にも一緒に手伝いをする同年代の仲間がいたので心強かったですね」
1月中には自宅で生活できるようになった灰谷さんと南山さん。2月には高校の授業も再開しましたが、それでも合間の時間をぬっては避難所を訪れ、物資の仕分けや整理などを手伝ってきました。善意で送られてくる物とはいえ、支援物資の中には賞味期限が切れた食品などが混ざっていることも。そうした品物をチェックすることで、避難所の安全面を確保しているのです。
「作業自体は単純だけど、楽しんでやることを心がけているうちに、行くのが楽しみになって。いつのまにか習慣になっていました。これから部活も始まるのでどれくらいの頻度で来れるか分からないけど、避難者がいる間は気にかけていきたいと思っています」
「災害対策本部の人たちとも会話をする機会があって、災害が起こった時に自分たちはなにをすればいいのか、考える力が身についた気がします」と灰谷さん。避難所のヒーローとなった彼らの活躍は、小木の町の希望の光となっています。
※このインタビューは令和6年(2024年)年2月28日に実施されたものです。
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