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石川県では、明治5年9月に会議仮条例を発布し、明治6年3月から正副戸長が出席して毎月2回会議を開催し、また、明治8年5月から、初めて県会という名称により区長会議を開催してきました。しかし、これらは諮問的機関にすぎませんでした。
明治11年7月に府県会規則が制定され、県会は地方税でまかなう経費とその徴収方法を審議し、その議決によって県令(後の知事)が執行することになり、明治12年4月に初の県会議員選挙が行われ、議員69人が選出されました(加賀16人、能登11人、越中21人、越前21人)。なお、同年5月に臨時県会が開かれ初代議長に加藤恒氏、初代副議長に草薙尚志氏がそれぞれ選出されました。
明治14年には越前7郡が、同16年には越中一円が、石川県から分離し、議員定数は36人に改められました。
明治23年5月には府県制の発足と選挙法の改正により常置委員に代わって名誉職参事会員が設けられ、また、明治24年6月から議員定数が31人に改められました。
明治32年3月には府県制の改正によって、議員の改選が2年ごとの半数改選制から4年ごとの総選挙制に改められ、同時に名誉職参事会員も4人から6人に増員されました。
大正14年3月に普通選挙法が制定され、昭和2年9月に県会議員選挙が初めて普通選挙によって行われ、政友会17人、民政党11人、平和会1人、中立1人が当選しました。
戦後は新憲法の発布、地方自治法の施行によって地方制度も画期的に改められましたが、民主化の線に沿って議会の機能も大きく拡充されました。
議員定数については、昭和22年4月に43人でありましたが、昭和26年4月には45人、昭和50年4月には46人、昭和58年4月には47人、平成11年4月には48人となりましたが、議会も行財政改革等を推進していく観点から平成15年4月からは2人減員し46人となり、その後平成23年4月には43人、令和5年4月からは更に2人減員し41人となっております。
明治5年 | 金沢県を石川県と改称し、県庁が美川町に移された。 |
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明治6年 | 県庁が美川町から金沢市に移された。 |
明治12年 | 勧業博物館(現伝統産業工芸館付近)の一部を議事堂として使用 |
明治35年 | 旧議事堂が金沢市広坂に完成 |
昭和14年 | 焼失。仮議事堂に移る。 |
昭和28年 | 前議事堂が完成 |
昭和54年 | 増築整備(議員執務室及び面会室等) |
平成15年 | 現議事堂(金沢市鞍月)に移る。 |
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