ホーム > 連絡先一覧 > 文化観光スポーツ部文化振興課 > 加賀藩と西洋音楽のはじめ「壮猶館」について
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金沢市広坂にある、現在の知事公舎横に「壮猶館」の門構えが残っています。
「壮猶館」は、長く外国との交流を制限してきた江戸時代の末、ペリーの来航(1853年)により外国の侵略に対する危機感を覚えた加賀藩が、西洋式の軍事力強化を図るため、1854年に設置した軍事総合学校です。
「壮猶館」では、西洋式の軍事技術だけでなく、医学、数学、測量、航海術、合図法などの教育も行われており、合図法の中で太鼓やラッパによる西洋式の演奏(軍楽)を教科として教えていました。
当時、幕府や他藩でも軍事学校が多く設置されましたが、現在、「壮猶館」より早い時期に軍楽を教えたという記録は見つかっておらず、「壮猶館」が日本ではじめて、西洋音楽を教えた学校である可能性があります。
壮猶館で使われていた歩兵のための教科書で、太鼓の合図で進軍することなどが記載されています。
また、進退の動きや行軍の早さは、それぞれ太鼓の‘譜’で命令することとされています。
太鼓の打ち方の教科書です。‘○’や‘●’で打ち方が記されています。
石川県立音楽堂1階プロムナード、チケットボックスの横辺りにおいて、壮猶館をPRする展示を行っています。
どなたでもご覧いただくことができますので、お気軽に足をお運びください。
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