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玉泉院丸整備に先立ち、遺構の保存状態を確認するための調査を、平成20 年度から行っている。平成24 年度は、色紙短冊積石垣下の滝壺周辺及び滝石組上部の遺構確認調査を実施するとともに、石垣群の構築年代についても確認調査を行った。あわせて、玉泉院丸全域を対象に、池の深さや作庭以前の旧地形等を把握するための地質調査を実施した。 (発掘調査地点)(PDF:2,039KB)
調査期間 平成24 年5 月9 日~ 12 月18 日
調査面積 900平方メートル
<色紙短冊積石垣下の滝壺>
平成23 年度に検出した滝壺の全容を確認する調査を実施した。石垣下は、幅5 . 3 m、奥行4 . 0mの滝壺となっており、石組は石樋からの落水を受ける水受石の手前に大形の板石を置き、石垣に向かって左側にも同様な板石を置いてハの字に開き、さらに長さ1m程度の扁平な石を立て並べる構成となっている。板石の手前は、掘り窪められて水をためる構造となっており、その導水経路は、色紙短冊積石垣の石樋、松坂門側からの階段状の石組溝、それに加えて数寄屋門側からの石組暗渠の3経路であったことを確認した。溜りに集まった水は、あふれ出て護岸石垣下に作られた暗渠の排水溝で松坂の下を通り、滝流れの水源となっている。また、確認した滝壺内の玉石敷は、少なくとも上下2面あり、石組についても護岸石垣の下になっているものもあることから、滝壺には何時期かあったものと考えられる。
<滝石組周辺>
滝石組の上部で「段落ち」の滝に至る水路を検出した。滝壺からの暗渠出口については確認できておらず、近代埋土及び石垣のさらに奥にあると考えられる。検出した水路は、弓なりに弧を描いて「段落ち」の滝に至るが、水路の周囲には石を置いた痕跡等があることから、滝が作られた当初は、石組の間を縫うようにして水が流れていたものと考えられる。「段落ち」の滝から泉水への水の流れについては、「段落ち」部分で左右に振りながら流れ落ち、最後の段を落ちた後は、泉水まで緩やかに流れたものと考えられる。水路は、地山ないし地山質の整地土で造られるが、左側は褐色系の造成土であり、出島の付け根とみられる部分には古い段階の石がその褐色系の造成土で埋められていることから、庭園を改修するにあたって、大きな地形の改変があったと考えられる。滝石組みの上部北西側は、石や石を置いた痕跡が確認できず、近代以降の削平によるものと考えられる。
<石垣の創建時期と松坂>
石垣群の創建時期は、根石の石加工の特徴等から寛文期以前に遡る可能性も考えられる。その後、松坂の再造成に伴い宝暦大火前までには石垣の下半は埋められ、見かけ上の高さは低くなっていると考えられる。現在の松坂は、近代以降に大きく削られ、松坂路面は残っていない。
<地質調査>
池底の高低差や作庭以前の空堀に関する情報を得るため、また郭外周の造成や石垣背面の地盤特性を確認するため、池の西側や郭北東部を中心に、オールコア方式でボーリング調査を27 箇所、高密度表面波探査を3側線実施した。
調査区全景
色紙短冊積石垣と石組
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